今回は、おじいちゃんにスポットを当ててみます。
子どもの発達に貢献する役割は、全ての大人(年長者)にそれぞれ別々にある、ということは、恐らく今後、何度も申し上げることになると思います。
ぼくの療育観の中でも、重要な考え方です。
発達に大事なのは、母性だけではない
そんなの当たり前、だとぼくは思うのですが、世の中「母性神話」は根強いです。
自然な形が最も効果的だという理屈は、よくわかるのですが、「子どもには母親が一番大事」とか、「お母さんの愛情が無いと子どもが育たない」などと言ってしまう人がいますよね。しかもそれが、いろいろと勉強をされている、子どもに関わる仕事をしている人の中にもいらっしゃるわけです。
子育てにおいて、母性や母親の存在が大事であることには同意します。すごく重要なファクターです。しかし、他にも同じくらい大事なことってたくさんあると思います。
発達を支える、父性
ひとつは、父性や父親です。
例えば目的的、論理的、建設的な関わり方ができることを、父性的と言ったりします。
これが不足するとどうなるか。
一概に言えないことは当然として、ですが、いわゆる「分別」というものが曖昧になってしまったりします。ざっくり言うと、こういう時にはこう、でもこうならこう、などの、わきまえ、みたいなこと。
どこか緩い部分が目立ってしまうかもしれません。
反対に、父性的な関わり方ばかりに偏りすぎると、融通が利きにくいところが目立ってくるかもしれません。
でも、父性性が強すぎる環境では、反動みたいなことから、ルーズさや倫理観の乏しさが、様相として現れることもあるかもしれません。「グレ」ですね。
そして、おじいちゃんの子育て
おじいちゃんも、もともとは父親で、たいていは父性的な役割を担っていたはずです。お孫さんとの関わりにおいても、父性性を発揮されたら良いと思います。
ただ、その孫に父親がいる場合には、父親が父親の役割をしっかり担えるように配慮された方が、うまく運ぶ場合が多いです。
では、おじいちゃんがお孫さんに対して、どのようにして父性を発揮するか。
おすすめは、味わい深い趣味です。おじいちゃんの趣味で結構です。波平さんで言う囲碁や盆栽ですね。雑誌で勉強したり、作品に執拗にこだわったりしてますね。
はて、父性と趣味に、何の関係が? と思われることでしょう。
まず、波平さんで考えます。
囲碁は、勝ち負け、白黒がはっきりしていますが、手の打ちようは様々です。勝つためなら、どんな手でも使います。盤面の中なら、倫理的な問題もありません。
目的が明確で、その目的を果たすために定石の論理を読み解き、局面に応じて建設的に戦略を練っていきます。
囲碁以外にも、そのような感覚で打ち込める趣味って色々あるのではないでしょうか。
そして、盆栽です。バイクなんかも近い感覚だと思います。
自分が思い描く理想の形を、とことん突き詰めていきます。
どういう形が理想なのか、理屈をこねたりします。
その形を実現する目的のために、方法を建設的に模索します。
おじいちゃんは孫とどう遊ぶか
ちょっとこじつけ感が強かったですかね?
まあとりあえず、男性的と言うか、父性的な傾向が、趣味にも表れているということは、なんとなくご理解いただけたでしょうか。
子どもの発達というのは、どんなことでも、楽しみや遊び、競争の中で、いつの間にか、あるいは葛藤を乗り越えた先に起こってくるものです。
そして、おじいちゃんがお孫さんと遊ぶ時、先ほど説明したような、目的的、論理的、建設的な傾向を、存分に発揮されると良いのです。
そういった父性性で規定されているかのような遊び方に従って、面白みを感じる経験が、直接的に父親からの父性的な関わり方をされることとは違う角度から、お孫さんの人格を形成していきます。
例えば、最近流行りの、「むかし遊び」を一から手作りでやってみるというのも良いでしょうし、波平さんのように難解な趣味に付き合わせても良いでしょう。
でも、覚悟していただきたいのは、子どもはすぐに気が逸れてしまうということです。「そうだよね、興味ないよね」と諦めないでください。子どもは何度だって、あちこちに興味が移りながらも、いずれは本当に意義深いところに必ず行きつきます。
もちろん、一方的に押し売りをしても、「おじいちゃんウザい」で終わってしまいますから、子どもが喜ぶモノも、遊びの中に組み込んであげるのも忘れないでください。
あの、最近のCMで、釣れなくてサバの水煮缶を防波堤で食べるヤツあるじゃないですか。ああいうことです。マルハニチロの。サバの水煮缶を好きな子どもはあまりいないと思いますけど。まあ、そのCMで言えば、楽しいお喋りとかですね。
得意を活かして、積極的に関わってください!
あまり、うまく解説できていないかも。
なんせ、まだおじいちゃんになったことがないですからね。でも、ぼくのおじいちゃんが何かに打ち込んでいる姿は見てきましたし、それが、自分のアイデンティティの根幹部分にも、確かに影響を与えている実感があります。
世間の多くのおじいちゃんが、お孫さんを中心に考えたとき、どの辺の位置におられるのか、あまり存じ上げません。たぶん、それだけ、たいていは存在感が薄いのだろうと思います。
療育の現場から見て、いつも送迎に来られるような方もいれば、同居されているのに一切、話に出たことのないご家庭もありました。読者様のご家族の中で、「おじいちゃん」は、子どもにとってどのような存在でしょうか。
ぜひ、おじいちゃんとお孫さんとの、楽しい時間を過ごしてほしいと思います。
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